せーばなるの物語

いったい「せーばなる」ってどうしてはじまったのか。なんてことは、誰も知りたくないかもしれない。。。けど、勝手に語らせていただきます。


第一章 『せ~ばなるは一日にして成らず』

さかのぼること1986年。新潟県南蒲原郡田上町近辺に居を置く個性的な有志数名の集まりである[よめばわかる舎]は、定例である飲み会の大義名分ネタひねり出しに詰まり始めていた。

それまでもそれぞれが色々な業種のそれなりの地位に居る者の集まりであるために立案家も多く、毎回趣向を凝らした会が企画され舎員の好評を得ていた。

しかし、いかにヤリ手が集まろうとも、さすがに会を重ねる内にネタは尽きてくるもの。そこでフト一人のメンバーが思いついた非常 ? に安易な発想… 「 B.B.Q でもなじらろ?」 知り合いにバンドマンがいるから、その方々に生演奏させてそれを酒の肴にいっちょ野外で丸焼き大宴会でもという … 。

さらにそのメンバーの中にはたまたま牧場主の子孫がおり、あっけなく最適な場が見つかってしまう。

そうと決まったらドンドン進行。ほとんど音楽的素養を持つ者も居らず、又その事自体を気にする事も無くただただ楽しいであろうと思われる当日の酒を目指して、猪突猛進が始まる。

よって当然の事ながら用意周到な計画、準備などという感覚は無く、がむしゃらに単なる知り合いコネクションを総動員し「音楽を演奏するために必要な機材」 ⇒ 「でっけ音の出るモン」、「演奏者のためのステージ」 ⇒ 「やるモンの台」、「夜間演奏時の照明」 ⇒ 「塔光機」が

無造作に用意される事になる … 。そして、いつしかそうとは知らずに肴となるにはあまりにピュアな思い思いの表現場を求めるバンド達が

何の整合性もなくただ「数」寄せ集められてしまう。 こうして「せ~ばなる」の幕は無理矢理切って落とされたのであった。 


第二章『後悔、役に立たず』

本番当日。

牧場という最高のロケーションと半分詐欺まがいの勧誘によって蠅取り紙に付く虫のように、数少ない「野外演奏」というだけの餌の臭いに引き寄せられたバンド達と、それらの発する騒音と何となく続くリズムを。

ただ自分たちの大声.奇声.ストレス.汗.日頃使用頻度の極端に低い筋肉・神経を動かしたい野生の本能等のはけ口のトリガーとしてだけしたり顔で利用する大酒飲み客&スタッフ達との相容れないパーティーは遂にここに「あ?あやっちゃった」!? 

終了はとっくに日付変更線を越え、残ったのはゴミ、苦情の電話、明日の事を考えてしまう鬱的状況・・・・ばかりと思いきや、そこは「能動的に勝手に面白がれること」にかけては猪的パワーを持つ「よめばわかる舎」舎員達。反省もなく「またやろて?」と深夜の2次会へ突入していった。 

さて他人の迷惑顧みず自分たちの楽しみのために、この洒落の通じる筋金入りの勘違いバンドだけを、偉そうに、あくまでも「出させてやる」姿勢の前代未聞のわがままワイルドパーティーはその後30年以上も続くとは、誰が想像し得ただろう。 


第三章『ああ無償』

先出のような環境の異常なパワーをもつ訳の分からないパーティー?コンサート?ながら、その未知な力故か、日頃決まり切った生活に

飽きた人達を中心に年々聴衆は増えていく。そうなると又新たな蠅達が臭いを嗅ぎつけて何処からともなく飛んで来る事になる。

特に、普段はホンの身内友人達数名の間でしか演奏する機会の無いバンド達にとって、それがどういう種の人達であろうと彼らにとってはその「数」だけでそこは桃源郷の様な演奏会場となり、イコールほんの一瞬のスター気分を味わうことの出来る、いや完璧に勘違いのできる年に一回の週末天国となっていった。

たまたま来てみた近所の婆ちゃんにとっては彼らの発する騒音も牛舎の発する香ばしい香りと同等のモンでしかないとも知らずに・・・。 

こうなれば舎員にとってはしめたもの。以降バンド達は苦もなく自然に集まって来て、さらに「出させてもらう」ためと、思いのまま言うなりに無償の勤労奉仕を強要されていく事に・・・。


第四章『雨にも負けず嫌い 風にも負けず嫌い』

そしていつの日か実体のない、しかしとてつもなく強力な「せ~ばなる」パワーに よる洗脳により、その感覚が彼らの中で快感にまで高められて行き、参加回数の多いバンドほど単に当日の演奏だけでなく自らすすんで、前日準備から後日の後片付けまでをフルセットで要求する体に変えられていく・・・。

ある年、前日夜のTVの天気予報では大型の熱帯低気圧の猛威が報じられ実際に雨足も強まりはじめ、常識ある通常の人々であれば疑いもなく当然次の日の本番は「中止」か屋内でとなるコンディション。

ところが今やそれなりの多勢に膨らんだ「せ~ばなる」。踊る阿呆に見る阿呆演奏る阿呆に飲む阿呆軍団は誰一人として疑いもなくあくまで野外に拘り、当日早朝集まり悪天候の中危険を省みず、素人達が寄せ集めの資材と単なる建築用巨大ビニールシートを即席の会場屋根に作り上げてしまうのであった!? Just do it! ? いくたびの困難・・・いや本人達にそれを感じる感受性を持ち合わせている者は少ないが・・・を乗り越えずただ単にやり越し「せ~なばる」は続いた。

コアだった舎員達の中にもこの得体の知れないパワーを持ち一人歩きを始めた「せ~ばなる」についていけず自然に離れていく者もいた。 

時には「や」印さん達の働く場になる危険もあった。又時には自称本職と称する音楽に携わる者達のやっかみの的にされ、時には排他的な内輪サークル的バンド集団に乗っ取られそうにもなり、さらには政治的利用目的の勧誘などもあった。

騒音苦情によりジプシーのように会場を転々としたこともある。バイオハザード O-157 との戦いも経験した。 経済危機は日常茶飯事である。金銭的利益など到底誰も享受できるはずがない、が、幸か不幸か誰しもそれに疑問は抱いていない・・・いや、少なくとも残っているメンバーは・・・。 


第五章『類似品にご注意下さい』

そしてここには厳然たる「主催者、主催団体」というものも存在しない、強いて言えば毎回誰よりも率先して楽しんでいる数名がそれに該当する人達なのかもしれないが … 。又、「せ~ばなる」は発足当初より一切の自由を奪われる事を拒否するため冠スポンサーの申し出や、どうしても出演したいバンドによるスタッフ買収工作も全て拒否してきた。 

先出の通り出演バンドも今時珍しく出演料チケットノルマなど要求されない代わりに一切の特別扱いはされず、むしろこき使われ、踏み絵のような、ある意味理不尽な厳しいコンセプトに同意をする者だけが微々たる演奏の権利を与えられ、さらに一般聴衆と全く同じチケット代金をも徴収されてまで・・・(涙)しかし出演希望者はあとを絶たない。 

今まで外見だけ似せたようなコンサートが幾度となく現れては勝手に消えていった。それらはいわゆるコンサートとしてはむしろ至って常識的なテーマを持つものばかりだった。文化.芸術.市民.地域に根ざした.地元の音楽振興.町おこしとして.プロの登竜門.経済団体との連携.環日本海の・・・ and so on ・・・ 


第六章『これでいいのだ』

So what !それに対して「せ~ばなる」は全く持って非常識である。いや、むしろそのことを堂々と誇っているのかもしれない!?それも誰に対してでもなく面白がる自分たちだけで。 テーマはある!「 LOVE , PEACE & MUSIC 」・・・(笑) 

こんなものが、しかし、何故こんなに続いていくのだろう? それはたぶん「能動的に勝手に面白がれる」ことにかかっているのかもしれない、やっぱり。 

一生懸命な「ナンセンス」は素敵。責任ある「無責任」は楽しい。 「これでいいのだ」は強く、普遍的でさえある。 「せ~ばなる」は誰か止めないと 21 世紀まで行きそう?いや、続いているのである!? 

 

※ この文章は25%のノンフィクションと13%のフィクションと7%の勢いと18%のジョークと残りの「愛」で書かれております。(愛の割合は自分で計算して下さい) 

※尚、筆者は一切の文責を拒否し逃亡致しましたので、匿名とさせて頂きます。文句アッカ!